当然ながら登山には危険がツキモノであり、よってあらゆる方法で死ぬことが可能だ。
●野生の羆に襲われて生きながら喰われて死ぬ。
●危険な動植物に噛まれるか触れて感染症か毒で死ぬ。
●脱水症状になり意識を失ってそのまま死ぬ。
●体が冷え切って低体温症になって死ぬ。
●天候が急変し帰路を見失ってさまよって死ぬ。
●不安定な石に乗って足を滑らせて落ちて死ぬ。
●ツタや木の根に引っかかって落ちて死ぬ。
●湿った枯葉や泥で足を滑らせて落ちて死ぬ。
●水場や川を渡る際に滑って落ちて流されて死ぬ。
●脚が弱った下山時に小さい突起で転んで落ちて死ぬ。
●ちょうど目の高さに張り出した枝に刺さって死ぬ。
●枯れて倒れた樹木の枝が内蔵に刺さって死ぬ。
●腐った橋の板を踏み抜き内腿の大動脈に刺さって死ぬ。
●生死を問わずエゾシカのツノが刺さって死ぬ。
●自分や他人の装備品がふとした拍子に急所に刺さって死ぬ。
●心臓発作で死ぬ。
●低酸素状態に陥って死ぬ。
●歩く体力が尽きて死ぬ。
●心が折れ気力を失って死ぬ。
●とにかく何らかの方法で、落ちて死ぬ。
ここまでで二十項目だが、可能性としての死なら、それこそ山ほど思い浮かべることができる。そして事実、山では上記に挙げた理由かそれ以外の理由で、死ぬ可能性がある。
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2016.10.12(水)
札幌岳 冷水沢コース(札幌市南区)
同行者:カメラマンU氏
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ここ数年、体を鍛える目的もあり、道内各地の山に通っているという友人のU氏にお願いして連れていってもらったんですね、はじめての登山に。これまでちゃんと山に登った記憶はないので、たぶんはじめて。動機は山登りに特段興味があったわけではなく、「登山する人の気持ち」の方に興味があっただけ。そう、私には登山の魅力が、まったくわからないのです。何が面白いのか、ぜんぜん理解できない。「そこに山があるから登るのです!」と云われても、「いや迂回すればいいんじゃね?」としか思えない人間なんですな。ということで今回は、いわば検証のために挑戦してみた次第です。
「いざ行かん」となると準備が必要(準備は楽しい)。そこで札幌市中央区にあるモンベル札幌赤れんがテラス店に勇んで赴き(形から入るタイプ。あとモンベルは日本のメーカーなんでサイズ感がベストだと思っています)、まずはトレッキングシューズを物色。よくわからないのでスタッフのお姉さんに日帰りの初心者向け登山行である旨を相談すると「では両足のサイズを計りましょう」と云われ、靴と靴下を脱ぐように指示される(指示されるのも楽しい)。
専用の計測器で片足ずつ計っていくと「右の方が0.5cm大きいですね」などと指摘される。次いで、用意されているトレッキング用の厚手の靴下を履く。足の横幅が膨らんでしまっている形状のため、デザインや色味はさておき、足首まで固定できる幅広タイプを選択。靴紐をギュッと締めてもらいながら(正式な締め方がわからないんだから、しょうがないでしょう)、試し履きする。立ち上がって平面を歩き、さらに岩や木の斜面を模した障害物(そんなものまである。さすがモンベル)の上をカニ歩きで往復。痛みが出ないかチェックし、OKだったので「んじゃこれで」と購入。正式な商品名は「モンベル(mont-bell) ラップランドブーツ ワイド Men’s(メンズ)」、サイズは27.5cm、価格は16,740円(税込)。
併せて、バックパック(20リットル)とメリノウールのトレッキングソックスも購入。さらにお姉さんに云われるがままに、モンベルクラブ(初回年会費1,500円)にも入会してしまい、合計30,788円也。無職だけど買ったよ! そして会員証とビンバッチをもらいました。フッフッフ、これで勝ったな、山。
「ウソでしょ、これホントに初心者向け?」
どうやら山をナメているらしき私に、まずは一発、ちょいキツめのヤツをかましてやりましょう的な気持ちがU氏にあったと推察する。札幌岳、結構マジで山じゃん! 最初の一時間は比較的平坦でもあり、ハイキング気分で余計なことをお喋りなんかしながら、順調に進んだものの、冷水小屋と呼ばれる中継地点を過ぎたあたりから、もう完全にアスレチックなアドベンチャー。断崖絶壁とまでは云わないが、傾斜角は相当なもので、大小の石と木の根と枯葉に覆われて水を含んだ足場は泥だらけ。何がキツいって、階段状の足場の高さと角度がマチマチで(当たり前)、一歩ずつ脚をひねって体を持ち上げなきゃいけないことで、この繰り返しで股関節をヤラれました、完全に。足を滑らせて尻もちもつきました。無様。
いつしか黙り込み、一歩ごとにゼーハーゼーハー喘ぎながら、足場を確認して俯いて進むことに。風景を楽しむ余裕なんてない。全身汗みずく。雪も降ってくる。ふざけんなよ、北海道! そして長い長いよ、いつ着くのコレ。違う違う、片道1時間ちょっとぐらいのハイキング的なところでよかったんだって、初心者なんだから! ぜんぜん着かねえじゃん、頂上。最初は三十分おきだった休憩も自ら申し出て十分間隔に。「ようやく高山系の植生に変わってきましたよ」とか「尾根に出れば平坦ですから」などとU氏は励ましてくれるが、「今のところ、登山の魅力、マイナス五万ポイントですね」と辛口を叩くことしかできない。タバコを吸ってるから、息が続かないんだよなあ。
世界のすべてを呪う言葉しか浮かばない状態の私だったが、ほかの登山者はスイスイ進んでいく。六十代ぐらいの男女四人のパーティーが先行しているようだ。中腹では入れ替わりに二十人規模のツアーが降りてくる。六十代、もしかすると七十代かもしれない女性が笑顔で降りていく。あいさつはちゃんとします。山のルール。
▲片道約3時間で頂上へ。でも「へ~」と思っただけという無感動人間。うーん雲は近いんだけど、自然的には北海道ってどこもこんな感じの風景じゃない?
もともと風景で感動することのないタイプの私である。登頂の達成感を感じる余裕もない。そしてとんでもなく風が冷たい。バカなの、北海道……。とにかく汗でダクダクなので、持参のTシャツと上着を無理やり着替える。
▲できれば速乾性の機能性ウエアがいいんでしょうね。ふざけてこれを着てっちゃってるわけなんですけど、ぜんぜん換気しないタイプだから、ヒドイ有様ですよ。着替えは2セット必要でした、私には。水分は500mlのペットを3本飲み切りました
雄大な自然。おいしい空気。フカフカの土やがっちりした岩を踏みしめる足裏の感触。苦難を乗り越えた先にある感動。自らの筋肉や血液や体内器官の対応力に対する純粋な驚き。あらゆる浮世のストレスからの解放。生きとし生けるものへの感謝の念ーー。
ゴメン、まったく浮かばない! 浮かんだのはコレ!!
「あーわかった。登山してるヤツらってさあ、これ、全員、明らかに死のうとしてるでしょ」
語弊があるので補足する。
登山において、死は手が届くところ、すぐそこにある。自分の生命の行く末を、自ら(の心と体)に委ねることになる。そして死が己の手中にあることで、逆説的に生を実感できる。「生きてるなあ」という感覚を、際立って我が手に取り戻すことができる。
同じような文脈で、人間は時々、自分を痛めつけたり、ぶっ壊したりしないと、心の均衡が保てない動物なのかもしれない、とも考える。時おりムチャをしないと到底生きていけないような気がする。程度と頻度の差こそあれ。
フランス語では、セックスの後のひと時の倦怠のことを「小さな死」と呼ぶ。と、確か開高健が書いていた。人が山を登ることをヤメない理由は、この「小さな死」を感じたいから、あるいは感じないと生きていけないからではないか。
百通りの「小さな死」の繰り返しでしか、生きている証を感じられない人間にとって、登山やセックスは手近な死の代用品だ。登山ファンに高齢者が多いのは、セックスの代用だからとは云えないだろうか?
帰り道。不自然なひねりの連続で、最初に股関節が痛みだす。続いて膝、そして足首。最終的には足の裏まで痛くなってくる。情けない。呼吸も浅くなり、両脚の感覚が失われてくる。注意深く一歩一歩足を運ぶのが次第に面倒になってくる。どうやって登ったのかわからない急な崖に差しかかる。「これ、ダイブした方が早いよね」と思いましたからね、キツすぎて。
以上が、はじめての登山の感想でして、翌日の現時点でヨボヨボとしか歩けない私は、もう一度、山に登るつもりはまったくありません! U氏は「しばらくすると、なぜかまた登りたくなるんですよ」と云うんですが(連れてってくれてありがとう)、「もう一回、登るくらいなら迷わず風俗に行くね」というのが私の返答(恩知らず)。同じだよね、だって途中からずっと声出して喘いでたんだから!!
特に独身にはあまり向いてないスポーツなんじゃないかなあと思いますよ、いたずらに内省的になったり、思い切り自然に目覚めたりしちゃうといけないから。
私はモンベルの靴を履いて、風俗に行きます(笑)。