【レビュー】【労働】トラブル・イズ・マイ・ビジネス

さて「労働は美徳」「働かざるもの食うべからず」という規範教育を当たり前に受けてきた私たちだが、暮らし向きの貧富の差はあれど、結局は『労働の対価(お金)で生計を立てている』だけである。話が大きくなってバカっぽくなってしまうが、産業革命以降、労働と貨幣との置換システムが確立され、同時に貨幣をモノと交換する経済社会も整備されるに至った。経済活動とは、私が考えるに「人と人との摩擦」によってのみ生じる。摩擦係数ゼロのところにお金は発生しない。摩擦は言い換えると抵抗あるいは障害でもあるため、だからこそ労働で死に至るケースも出てくる。

だが人類史をグッと遡れば、狩猟採集民→農耕民にとって、労働は腹を満たしてサバイブするためだけの活動だった。「食うために働く」「子孫を残すために働く」という動物に近いシンプルさ。ただし不安定で生き残れる確率が低かったこともあり、明日も明後日も安心して過ごすために、ニンゲンは複雑怪奇な機構を凝らして経済を発展させてきた。

問題は発展しすぎて意味不明な事態になりつつある資本主義経済(=欲)と、なぜか労働にぶら下がってくる「やりがい」や「自己実現」や「楽しく働こう」や「社会貢献」や「好きなことで、生きていく」や「なりたい自分になろう」や「独身の老後は孤独死」といったサブ的な価値観である。突き詰めて考えれば、日々の糊口をしのぐのが「労働」の主目的であり、働きすぎて死んでしまっては本末転倒ということになりはしないか。

「うまいもんが喰いたいなー」とか「いい家に住みたいなー」とか「シュッとした服が着たいなー」とか、はたまた「結婚したいなー」とか「安心したいなー」とか「遊びに行きたいなー」とか「きれいなおねえさんとゴニョゴニョしたいなー」といった欲が薄れてしまうと、経済社会はとたんに回らなくなってしまう。企業や広告は、この欲をあらゆる手管を使って刺激して煽っていくわけだが、よく考えると別に欲しくない商品もわんさか存在することに気づく。特にネット時代の広告は、効き目のスピードアップを図るばかりに、いたずらに不安を煽って脅して追い込む手法が主流となり、業種や商売の興亡も著しい。昔の広告にはもっとこう、情緒と余裕と未来があったのになあ。

実は私も少なからずソチラ側に与する者としてのバイアスがかかっていて、仕事ができないトロいヤツはこれまで散々小バカにしてきたし、必死で働いた経験のない口先だけのヤツは今でもちょっと信用できない。「金さえあれば」という拝金主義者、上っ調子でずっこいことばかり考えているヤツは軽蔑し、あるいは利子や配当で暮らす不労所得者を妬む気持ちも少なからずある。同じ流れで、他人のいい仕事を見ると感心してうなるし、自分も何とかしないとな、とそのたびに思い直すことになる。何よりも真っ当に一生懸命に働いている人は見ていて気持ちがいいし、老若男女を問わず、尊敬に値すると常々思っている。